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オートマトンは応援の夢を見るか

2026-08-14公開

毎年、都市対抗野球の応援活動が行われる。初めて参加した年はスーザフォンを担当した。今年の担当は指揮である。なぜ、私はスーザフォンではなく指揮を担当しているのか。人手不足である。これは事実ではあるが、すべてではない。自薦だったのか他薦だったのか、今となってはよくわからない。ただ、断らなかったことだけは確かである。

野球応援における指揮者とは、応援指導部の主将のサインを吹奏楽団のサインに変換するトランスパイラである。主将は両手でサインを送るが、こちらは右手で拍を刻む都合上、左手だけで伝えなければならない。主将のサインをまとめた文書は存在しないので、何者かがYouTubeに上げた応援風景の動画を見て実装する。また、演奏中の曲目と主将のサインから次の曲目が決まるという点では決定性有限オートマトンとも言える。オートマトンの実装よりも、本来の役目であるテンポや入りのタイミングの提示のほうが難しい。指揮をすれば右腕が痛くなる。スーザフォンを担げば左肩が痛くなる。無傷で応援を終えることなど夢のまた夢である。

試合中、私が視線を送っているのは応援指導部の主将と吹奏楽団である。つまり、野球の応援に来ているのに野球を観ていない。細かい経過はその回の攻撃が終わった後にスコアボードを見たり、試合を観ていた人に確認する。私が指揮中に把握しているのは、曲目が変わったこと、つまり状態遷移だけである。

私は誰に向けて指揮を振っているのか。直接的には吹奏楽団であり、曲目と曲の入りを示すことで、間接的には観客に向けて振っている。主将のサインを受けて、次の曲や繰り返しを示し、曲に入るタイミングを示す。リーダーやチアリーダーも曲に合わせて猛練習した振付を披露する。一連の流れに合わせて、観客はうちわでリズムを取る。数十人、数百人、数千人が同じリズムを刻む。

打球音と、それに続くどよめきが聞こえた。曲目からして、チャンスであることはわかっていた。得点が入れば、ファンファーレを差し込む。状況をつかもうとして、指揮の手を止めてしまった。演奏も止まった。点は入らなかった。主将はサインを出し続けていた。指揮を再開する。主将のサインを受けて、演奏を止めるサインを出す。その回の攻撃が終わった。次の攻撃回の最初に演奏する曲を、あらかじめサインで示す。再びオートマトンに戻る。

私は応援をしているのだろうか。試合に背を向けて指揮を振る私には、わからない。