ヤン・ヴァン・デル・ロースト『アーセナル』¶
2025-05-19 公開
吹奏楽に限らず、何かしらの演奏の経験があれば、1曲ぐらいは思い入れのある楽曲があるだろう。何に思い入れがあるのか。その楽曲の構成か、主旋律や対旋律、和音やリズムが合致した経験か。私にも、思い入れのある吹奏楽曲が存在する。しかし、楽曲そのものではなく、それに付随する思い出が占める割合が相当大きいのである。
ヤン・ヴァン・デル・ロースト『アーセナル』。行進曲であるものの、実際に行進するための楽曲ではなく、式典などで演奏される行進曲である。吹奏楽では定番曲の1つであり、耳にしたことがある人もいるだろう。中学や高校、地元の吹奏楽団で演奏した経験がある。むしろ、経験者が多いのでそこまで練習を重ねなくてもそれなりのレベルにまで仕上げられるという点でも重宝されているかもしれない。
『アーセナル』の思い出は何か。オーディションの課題曲であった。地元・横須賀市では、毎年夏ごろに「こどものための音楽会」というイベントが行われている。目玉企画は、市内の中学校の吹奏楽部の合同バンドと市内の合唱団からなる『合唱と管弦楽のための組曲「横須賀」』の演奏である。合同バンドを編成する際、希望者を全員参加させることは不可能であるので、メンバーを選抜するオーディションが行われた。合同バンドはAバンドとBバンドからなり、Aバンドは中学2年生、Bバンドは中学3年生からなる。Aバンドは前座的に吹奏楽曲を3曲演奏、Bバンドはバッハ『目覚めよと呼ぶ声あり』と『合唱と管弦楽のための組曲「横須賀」』を演奏する。『アーセナル』は中学2年生の時に、Aバンドのオーディションの課題曲(かつ、Aバンドで演奏する曲目の1つ)であった。
オーディションで演奏する箇所は事前に指定されていて、十六分音符で下のB♭から上のB♭までの上昇する部分(ただし、単純なB♭のスケールではなく、曲の調がE♭なのでAではなくA♭)だった。チューバに細かい音符を吹かせるなよ、と中学生ながら思いつつ練習をしていた。しかし、練習しても指がそこまで素早く動かない。ロータリーだったので、ピストンよりストロークが短いはずだが、それでも難しかった。コントラバスの同級生は弾けていたが、自分はできていなかった。
オーディション当日。その場で調を指定されてのスケールと『アーセナル』の指定箇所の演奏である。スケールは事前にすべての調を練習していたので何ら問題なかった。問題は『アーセナル』である。結局、自信を持って演奏できたとは言えない出来栄えだった。
当然のことながら、オーディションなので全員が選ばれるわけではない。典型的なパターンとして、中学2年生でAバンド、3年生でBバンドに選ばれる人、2年生で落選して、3年生でBバンドに選ばれる人、そもそもオーディションに参加しない人、がある。2年生で落選した場合、そもそもオーディションの参加資格がない中学1年生と一緒に基礎練習をするという流れになっていた。ある意味で屈辱を味わうイベントであるが、「2年生で落選して、3年生でBバンドに選ばれる人」のパターンを踏んだ人は、パートリーダーなど何らかの役職に就いたり、奏者として先輩として大きく成長する人が多かった。
数日後、オーディションの結果が顧問の先生から伝えられた。パートごとに教室に分かれて練習をしていたので、結果も教室に先生がやってきて伝える形式であった。まず、先輩方がBバンドに選ばれたことが伝えられる。コントラバスの同級生もAバンドに選ばれる。自分の結果は。
「あ、そうそう、私(先生)はどうかな~と思ったんだけど」
想定していない前置きを経て、Bバンドに選ばれた。
典型的なパターン以外にも、年に1人いるかいないかの頻度で「2年連続でBバンドに選ばれる」というパターンも存在する。当然、このパターンの人は演奏が上手である。ただし、チューバに限って言えば、各中学校各学年に1人しかいない、Aバンドで演奏する楽曲よりも、『合唱と管弦楽のための組曲「横須賀」』の方がチューバは(わずかに)簡単である。つまり、単に運が良かっただけである。実力以外の何かが作用したとしか言えないのである。とはいえ、理由はなんであれ、僕はBバンドに中学2年生で選ばれたのだ、と有頂天だった。Aバンドに選ばれなかった同級生の存在を知りもせず、廊下で両手のガッツポーズをしていた。
果たして、この経験は良かったのだろうか。楽器演奏の腕前に限って言えば、妙な自信を持ってしまったという点で良くないと思うが、それでも、何らかのオーディションを経由して上級生と同じバンドで演奏をする機会を得られたのは非常に良かったと思う。なお、「こどものための音楽会」のパンフレットにある合同バンドのメンバー表のうち、パート内の順番は実力順(上手な人が先頭)である、という根拠不明の噂が存在したが、2年とも末尾だった。実際、中学3年生で2回目のBバンドとしてパート練習に参加した際、他の中学校のチューバ奏者の方が上手だった。
これが『アーセナル』にまつわる思い出である。まったくもって『アーセナル』の内容と関係がない。依然として、課題曲の指定箇所は満足に演奏できていない。