私とキリスト教¶
2025-05-18 公開
最初に明言すると、私はキリスト者ではない。
Twitterアカウント名のCardinalXaroに含まれるcardinalは「枢機卿」を意味する。これは僭称ではなく、モンティ・パイソンの『空飛ぶモンティ・パイソン』第2シリーズ第2話「スペイン宗教裁判」のスケッチに由来する。ヒメネス枢機卿(ペイリン)、ビグルス枢機卿(ジョーンズ)、ファング枢機卿(ギリアム)の3人のいずれかなのか、あるいは「第4の枢機卿」なのかは分からない。なお、ヒメネス枢機卿は実在の人物である。
私はキリスト者ではない。だが、以前から文学として聖書を読む機会をうかがっていた。中学生の頃、校門の前で国際ギデオン協会(だったはず)の方々が伝道として新約聖書を配っていた。そのとき、担任の国語の先生が「文学として聖書を読んだが、とても面白い」といった趣旨の話をしてくださった。結局、配布された聖書は読まなかったが、「文学としての聖書」という意識は心に残り続けた。
それからおよそ10年が経ち、Twitterで架神恭介『「バカダークファンタジー」としての聖書入門』の存在を知った。そこから文学として、読み物として聖書を読み始めた。旧約は岩波委員会訳を地元の図書館で借りて読み進め、律法(モーセ五書)を一通り読んでサムエル記まで到達した。新約は田川建三『新約聖書 本文の訳』を少し読み、すぐに『新約聖書 訳と註』を全巻そろえた。パウロ書簡は後回しにし、四福音書、使徒行伝、公同書簡(とりわけヤコブ、ヘブライ)を読んだ。文学としての面白さは旧約に分があるが、人間の営みとしての面白さは新約にあると感じている。研究書や学術的な概説書も読み、特に田川建三『書物としての新約聖書』が印象的だった。分厚い本だが面白く、一気に読めた。
私が翻訳・監訳した技術書の「訳者まえがき」や「監訳者まえがき」は、新約聖書の引用から始まる構成になっている。例外は『ロバストPython』だが、当初は引用を入れるつもりだった。引用で始めるのは、海外の技術書にときどき見られる、各章の内容を示唆する引用で章を開く構成に憧れ、ひそみに倣って「まえがき」を書いてみたいという、いささか浅はかな動機からである。