2026年に読んだ本¶
2026-12-31 公開
雑な読書記録¶
買っても読まず、読んでも特に記録を残さずに思い出に残らないので、年単位で読んだ本と簡単な感想を残しておくことにしよう。 いつも、書評を書こうと思い立つもすぐに断念してしまうので「簡単な感想」にとどめてそのハードルを下げるのが目的である、と言っておきながら7年目である。
自分が読み返して「こんなの読んだのか」と感慨に耽るのが目的なので、気楽に読み流してほしい。
加藤明久『《アッキーにくらくら》セレクション』(音楽之友社)¶
月刊誌バンドジャーナルで、1993年から2024年までの31年間にもわたって連載が続いた人気コラム『アッキーにくらくら』の“よりぬき版”が1冊の本となった。全371話の中から51話が厳選され、各話の最後には【アッキーのつぶやき】として、著者が当時執筆したコラムを振り返って短いコメントを添えたコーナーも設けられている。
『バンドジャーナル』の名物コラムだった「アッキーにくらくら」の自選集。 時代にそぐわない記事は選ばれていないらしいが、N響を振った指揮者に対する評価やおおらかな時代の恩師の振る舞いなど、自主規制を突破した記事だけでも十分破壊力がある。
溝口敦『細木数子 魔女の履歴書 新装版』(集英社)¶
ネットフリックスシリーズ『地獄に堕ちるわよ』参考文献!稀代の女やくざが生き抜いた色とカネと暴力にまみれた欲望の戦後史!――「地獄に落ちるわよ!」の決めゼリフでテレビ界がひれ伏した恫喝の占い師を、カネにあかせた6億円の訴訟と広域暴力団最高幹部からの圧力にも屈せずに表舞台から引きずり降ろしたジャーナリズムの金字塔! 渋谷の青線地帯で生まれ、銀座、赤坂の夜で育った「魔性の女傑」――。暴力団幹部と深く永い契りを交わし、人気絶頂の演歌歌手から歴代首相の指南役までを手なずけ、「世界一の占い師」として巨富を得た稀代の女ヤクザの実像と正体に斬り込んだ、溝口敦だからこそ書けた真実!
元々は2006年に週刊現代で連載された連載記事をまとめた単行本があり、文庫化の際に加筆修正され、今回、Netflixでドラマ化されるにあたり、さらに加筆修正された文庫版が新装版として登場した。 本書の魅力は多彩な証言に基づく記述であり、弱点は証言に基づく記述である。 例えば、「渋谷の青線地帯で生まれ、銀座、赤坂の夜で育った」あたりの記述は基本的に店の客や弟の証言に基づくものであり、記述としても断定しきれず、読み物として弱いかな、と思っていた。しかし、占い師として一本立ちするあたりから情報に確実な裏付けが入り始め、話が急にリアルになる。 テレビに映る細木数子はほぼ見たことがなく、書店でいつも占い本を売っているな、という印象しかなかったが、暴力団取材が専門の筆者が取材するだけのことがある。
向田邦子『向田邦子全集 〈新版〉 第五巻 父の詫び状』(文藝春秋)¶
怒鳴り散らす父、理不尽な父、それでも陰では優しい心遣いをする父。明治男とその家族の姿を極上の文章で綴り、昭和を浮かび上がらせる
脚本家の向田邦子が『銀座百点』に連載していたエッセイをまとめたもの。元々は同名の単行本。表題作を中心に家族の話が中心のエッセイ。
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水社)¶
田舎道。一本の木。夕暮れ。エストラゴンとヴラジーミルという二人組のホームレスが、救済者ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている。そこにやってきたのは……暴君ポッツォと、その召使いラッキー、そして伝言をたずさえた男の子。
会社で「迷惑メール報告訓練」なる訓練を行う旨が通知された。いざ当日となり、まだかまだかと待ち続けても一向にメールは届かない。マネージャーは今日中に実施しろと急かすが、メールは届かない。その際に、『ゴドーを待ちながら』の存在を思い出した。タイトルと大雑把なあらすじは知っていたが、読んだことはなかったのでいい機会だと思って読み始めた。
ゴドーに関する情報はごく断片的に「伝言をたずさえた男の子」から語られるのみで、ゴゴとディディがなぜゴドーを待ち続けているのか、ポッツォとラッキーが何のために現れたのか、第一幕と第二幕の間に何があったのか、それについては何も語られない。ゴゴとディディの会話は比較的わかりやすいが、ポッツォに関しては理解も共感もできない台詞が続く。数回読んでも理解できない代物だが、何遍も読むうちに見えてくるものもあるのかもしれない。
訓練用メールは無事、その日に届いた。
シェイクスピア、松岡和子『リア王』(筑摩書房)¶
老王リアは退位にあたり、三人の娘に領土を分配する決意を固める。二人の姉は巧みな言葉で父を喜ばせるが、末娘コーディリアの率直な言葉にリアは激怒し、彼女を勘当し二人の姉にすべての権力、財産を譲ってしまう。老王の悲劇はここから始まった。シェイクスピア四大悲劇の最高峰。
『ハムレット』はデンマーク王ハムレットの復讐劇だが、『リア王』はブリテン王リアとその3人の娘、グロスター伯とその2人の息子をめぐるドロドロとした悲劇であり、全五幕に渡る長編であるがその長さは気にならない。コーディリアを勘当する第一幕第一場からずっと揉めている。コーディリアと道化は同じ役者が演じていたのではという説があるらしい(両者は同一場面に登場しない)。
シェイクスピア、松岡和子『ハムレット』(筑摩書房)¶
デンマークの王子ハムレットは、父王の亡霊から、叔父と母の計略により殺されたことを知らされ、固い復讐を誓った。悩み苦しみながらも、狂気を装い、ついに復讐を遂げるが自らも毒刃に倒れる。美しい恋人オフィーリアは、彼の変貌に狂死する。
2回目。改めて読み直すと、ハムレットは逡巡しているようで、行動しているようで、どう表現したらよいのか。わざわざ劇中劇で叔父を脅迫したり、ローゼンクランツとギルデンスターンを露骨に煙たがったり。特に、ローゼンクランツとギルデンスターンがハムレットの前に現れた理由も叔父から探りを入れるためではあるものの、元から仲が悪かったのではと思うぐらい邪険に扱っている。一体何があったのだろうか。
トム・ストッパード、松岡和子『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(劇書房)¶
「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」。シェークスピアの『ハムレット』の終幕、こんな一言で片付けられてしまう憐れな脇役の二人。本作は、ハムレットの学友であるが故に、玉座争いに巻き込まれ、死すべき運命に流される彼らの運命を描く。果たして「筋書き」通りの行く末なのか……
あらすじはハヤカワ文庫版から、いずれも品切れだったので古本で松岡訳を手に入れて読む。『ハムレット』に登場するローゼンクランツとギルデンスターンを主役に据えた二次創作で『ゴドーを待ちながら』のテイストを加えたもの、と書くと安っぽいが、単純な二次創作ではない複雑な構造をした戯曲であった。そもそも、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』に登場するローゼンクランツとギルデンスターンと、『ハムレット』に登場するローゼンクランツとギルデンスターンは同一人物なのか。否応なく『ハムレット』の世界に巻き込まれた、とも読める。